忍者ブログ

五年後には薬指に

五年後には薬指に






しんと冷えた冬の朝だった。
 リディアは身を縮こませ、何度か呻きながらも布団からどうにか這い出た。ああ、冬の朝のお布団ってなんて幸せなのかしら。
 温もりの残るシーツに、諦めきれずに足先が残る。びょんびょんと跳ねた前髪を直すより先に、いつだったかエッジが全員に配ってくれた半纏(ローザはちょっと野暮ったいなんて言ったけど、暖かくて私は気に入っている)に腕を伸ばした。


「んん……?」




「おはようローザ」
「おはようリディア。寒い、寒すぎるわ」
「ねえねえこれ、ローザのかな?」

 指先を震わせながら顔を洗うローザの元へ、リディアが小箱を持って現れた。ローザはふかふかのタオルに頬を埋めながら、首を傾げた。

「たぶん私のではないけど、どこにあったの?」
「起きたら枕元に」
「ふうん……クリスマスプレゼントかしら」
「クリスマスはまだだよローザ。私まだサンタさんにお願いもしてないし……」

 可愛らしく言うリディアに一瞬あっけにとられたが、ローザは七つまでしかクリスマスプレゼントをもらえなかったリディアが傷つかぬよう、慎重に慎重に言葉を選びながら説明した。

「し、知らなかった……子供しかプレゼントもらえないなんて……幻界には煙突ないからサンタさん来れないってアスラに言われたし……」

 意外と幻獣王妃は俗っぽい説明をしたようだ。よろよろと分かりやすくショックを受けたリディアに、ローザは慌てて大げさな手振りで追加した。

「だから、えーっと、大人になってからは友人や恋人同士で贈りあったりもするのよ! 私も今年はリディアにプレゼントあげたいわ!」
「わあ、嬉しい! じゃあプレゼント交換しようね! でもそれなら、本当にこれは誰のなんだろう」
「うん、で、分からないから開けちゃえばいいわよ」

 ローザはやけに強気だが、もし自分宛てのプレゼントでなかった時ものすごく申し訳ないことになる。薄いピンクの紙が綺麗な包装で、やっぱりローザ向けじゃないかと思うし、一度開けてしまったらリディアにはとても戻せそうにない。
 リディアは困ったように眉を下げた。


「本当にいいのかな」
「送り先書いてないんだから、仕方ないわ」

 うーん。まあ、そうかなあ。相手の不備を振りかざすのはいささか乱暴な気もするが、確かに贈り相手が分からなければこれ以上はどうしようもない。リディアはローザの言うことをほとんどの場合正しいと思っている節がある。実際ローザは、セシル絡みでなければ大体は正論で攻めるタイプである。セシルが絡むと暴走するとも言える。あっさりと切り替えてリディアは指先をリボンに掛けた。
 ローザはリボンが解かれて行く様を見ながら、どうしてこう回りくどいのかしら? と朝早くに出掛けた騒がしい男を思い浮かべた。

「わあ」

 小箱に入っていたのは、コンパクト型の鏡だった。リディアの手のひらに納まる小さな丸い銀色の鏡だ。表面にだけ、小さな花の模様が繊細に彫られていて、いくつかの小さな石が埋まっている。リディアは目を輝かせて鏡をぱちぱちと何度か開け閉めした。

「すごくかわいい」
「うん、かわいい。びっくりしちゃった」
「かわいい……」



 リディアが興奮気味に顔を上げると、ローザが身を乗り出して鏡を見ていた。ローザの目も年相応にきらめいている。女の子はほとんどみな可愛いものが好きである。
 
「……これやっぱりローザのだったかな」
「ううん、リディアのだわ」

 ええ、なんで分かるの。とリディアは鏡をしきりに見回した。開けて閉めて、ひっくり返して表と裏をじっくり見ても、リディアに宛てたものだという証拠はなかった。唸るリディアを見て、ローザは口端を上げた。

 だって私はこのくらいの鏡をもうずっと持っている。母の嫁入り道具で母も愛用しているところをわがままを言って譲ってもらったもので、壊れるまで絶対に持ち続けるぞという気概と執念が入っている。
 私に鏡を贈ろうっていうのにそれを知らないなんて有り得ない。そしてリディアを見ていれば分かるが自分の手鏡というものをこの子は持っていない。
 そもそも話はもっと単純明快でシンプルだ。リディアに鏡を贈ろうなんて色気づいた人間はあの中に一人しかいない、そういうことだ。──たまにはやるじゃない。



 さっそく誰がこの鏡をくれたかリディアは探そうとした。まず思い当たるのは旅を共にする仲間だ。セシルには違うよ、と言われた。あとはカインにエッジだが、珍しく揃って不在だ。その二人も違ったら、シルフに聞いてみよう。

 テントに戻ってからもリディアは鏡を離さず手元で遊ばせる。リディアは自分の鏡を持っていなかった。これまで洗面台の鏡があれば事足りたし、自分で買おうという発想はなかった。ローザが小さな鏡を持っているのは知っていて、一緒に覗かせてもらったこともある。白地にピンクの模様が入った鏡はローザに誂えたようにぴったりで、とても可愛らしく、きらきらとしていてリディアにはまだ早いかな、と思えたからだ。
 鏡を見てふと気になり、少し跳ねた前髪を直した。鏡が手元にあればこんなことだってちょちょいと出来るのだ。まるで大人の女性になったようで、リディアの気持ちが浮つく。今度ローザに頼んでお化粧してみようかな、と思った。

「お前そんなに自分の顔が好きか……」

 突然後ろから話しかけられてリディアはびくりと肩を跳ねさせた。振り返るとテントの入り口をめくったエッジが、くつくつと笑いを噛み殺していた。全然隠せてないけど。

「び、びっくりした! 驚かさないでよ、エッジ!」
「やー悪い、ちょっと大人っぽいものもらったからって舞い上がっちゃってかわいいの。やっぱ子供だなあ」

 また子供扱い。馬鹿にされている。リディアはむくれてにたにたと笑うエッジの視線から鏡を隠した。
ちょっとくらい背伸びしたっていいじゃないか。女の子だもの。戦いの日々だってちょっとくらい髪型を気にしたり、戦闘の後に顔の汚れを拭ったっていいじゃないか。エッジに馬鹿にされたのがことのほか悔しかった。

 いいもん。少なくとも鏡をくれた人は、リディアに使って欲しいと思って贈ってくれたのだろうから。

「……ん?」
「なに、怒った?」
「あれ、エッジ……なんでこの鏡、もらったものって知ってるの?」

 今度はエッジが肩を跳ねさせた。バタバタ大げさに音を立てながら後ずさって一瞬で耳まで赤くなった顔を見たら、いくら鈍いリディアでも分かる。
 ここにローザがいたら、笑いが抑えきれなかったかどうか怪しい。

「あれ、これ、エッジがくれたの……?」
「あーーーっそれね! たまたま安く売ってたからな! せいぜいローザの真似でもしとけよ!」
「えっちょっと待ってよ!」

 軽やかに身を翻してエッジはテントから走り去った。すぐさま追ったが逃走モードのエッジには、リディアの足ではとても追いつけずすぐに見失った。息が切れたところでリディアが座り込んで、握ったままの手を開いて鏡をもう一度見た。ぶわ、とリディアの顔にも血が上り、背中がむず痒い。外は寒いはずなのに、じんわり汗ばんでいる。
 口を開けばガキだのお子様だの言うあのエッジに、大人の女性だと認めてもらったような気がしたのだ。もしくは、そろそろ大人の一歩を踏み出せと背中を押されるような。恥ずかしさが通り過ぎると今度は嬉しさがやって来る。鏡で確認する気にはなれなかったが、今きっとふにゃふにゃした顔だろうと思った。


 いつまでも逃げてはいられずに昼食をとりに現れたエッジに、『ねえねえ、プレゼントのお返しなにがいい?』とご機嫌なリディアは聞き、エッジはぴゃっと変な声をあげてまた逃走した。

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。